【PCを捨てよ、カフェに立とう】〜ライターが喫茶店のマスターをやってみて気がついた「6つの教訓」〜
◆ライターが喫茶店のマスターをやってみて気がついた「6つの教訓」
「喫茶店のマスターになりたい」
というのは、珈琲が好きな人なら誰もが一度は抱いた夢だろう。
都会の喧噪から逃れるように扉を開けると、そこにはシックな内装とクラシカルなBGM、ダンディな佇まいのマスター、そして珈琲の香ばしい薫り。何の役に立っているのかイマイチ実感が湧かない仕事なんかさっさと辞めて、こういう落ち着ける場所を主催しながら、気心の知れた常連とウィットに富んだ会話を楽しむ、そんな生活がしたい。
しかし、その夢を実行に移した人はそう多くない。もういい大人なのだから、飲食が結構な重仕事であることや、上品な客だけでなく面倒な客もやってくること、何より落ち着いた=客の少ない喫茶店が商売として成立するわけないことくらい、薄々気がついている。
だから「一山儲けたらこんな余生を過ごしたい」と遠くの憧れとして抱きつつ、薫りだけ楽しみつつ、目の前の仕事をこなしていくのがいい大人たる私たちの人生なのだと、読者の皆さんはご存じだろうし、私もそう思ってきた。
ところが、2021年のある夏の日、Facebookに何の気なしに
「はやく珈琲屋さんになりたい。」
と投稿したところ、岩手県の山間部・西和賀町で人気のカフェ「ネビラキカフェ」を運営している瀬川然さん(彼は別事業としてネイチャーガイドをしており、私はガイドの客として知り合っていた)から
「ウチをお貸ししますよ!週に2日のお店の定休日にやってみませんか」
「この10月から、雪で店を閉める11月頭までどうですか?」
とコメントが付いたのだ。
それを見た瞬間、私は思いも寄らない事態に動悸がした。
(……えっ、マジで?)
俺が、喫茶店をやるの?しかも、いまこのタイミングで?
いやいや、「はやく・なりたい」というのはあくまで言葉のあやだぞ。仕事に追われる日々からの現実逃避として、50~60歳くらいの時期になんとなく仕事をセミリタイアして、母校の近くで喫茶店でもやって、「なんだ、最近の大学生は●●も読んどらんのか!けしからん(←じつは自分も読んでない)」と、迷い込んできた若者をいびって過ごしたいなぁ。そんな日がはやくこないかなぁ……と夢想していただけであって、「明日にでも珈琲屋を開店する!」という固い意志があるわけではまったくない。
しかも場所はカフェがある西和賀町は岩手の山奥で、東京駅から新幹線と在来線を使って片道4時間、約14,000円かかる。移動だけでも一日仕事だ。そんなところに行ったら、目の前の仕事はどうなる?
とは言え、せっかく「ウチをお貸ししますよ!」とコメントをくれたのに、「いやこれはちょっとした言葉のあやで、あと15年くらい経ったらまじめに考えてみようかと……」みたいに後出しで返すのはかっこ悪いし、せっかく声をかけてくれた相手に失礼だ。
■喫茶店をやるべきか、やらざるべきか。それが問題だ
そこでまずは、いったんやる・やらないの判断は抜きにして、実現可能性と、実行した際のメリット、デメリットを考えてみることにした。
こうして記事を書いている以上、結果的には岩手で喫茶店のマスターをやったわけだが、そこに至るまでにはそれなりの逡巡があったのだ。
◎実現可能性
最大の障壁になるのは「目の前の仕事、どうするの?」ということだが、じつは私の勤める会社はコロナ禍への対応で完全リモートワークになり、当時(現在でも)月に一回もオフィスに出勤していなかった。ということは、私が東京にいなくても基本的に困らないはずだ。客先に出向く用事もなくはないが、1~2ヶ月空ける程度なら同僚に頼めばなんとかなるだろう。
また、こうやって記事を書いているように、私はフリーライターとしても活動している。そちらのフリーランスの仕事についても、すでに取引のあるクライアントとはある程度の信頼関係が作れていると思うので、やはり「1~2ヶ月ほどリモートでの対応です」と言っても許してくるはずだ。
以上のように10秒ほど考え、「あ、これは、可能っちゃあ可能だぞ」という結論に至った。
◎メリット
物理的に可能だからといって、私たちに与えられた時間は有限なのだから、なんだってやればいいというものでもない。普段と違うことをやってみるには、それなりのメリットが必要だ。
1~2ヶ月を岩手で週2回開くカフェのマスターとして過ごすことに、どんなメリットがあるだろうか。